UNIC MUSEUM
ホーム > UNIC ミュージアム > UNIC HISTORY > ユニッククレーン開発史(1960年代後半〜1980年)
1967年(昭和42年)、のちにベストセラー機となる『U-200R』が市場に登場した頃は、まさに高度成長期の真っただ中という時期で、日本経済が大きく発展を遂げた時期でした。そして1970年(昭和45年)、大阪万博での『U-200R架装・塵芥収集車』の活躍を契機にユニックの名は広く世間に知られるところとなり、“ユニック=トラック搭載型クレーン”というイメージが定着していったのでした。その後1976年(昭和51年)には、それまでの概念を打ち破る数々の新機構を搭載した中型トラック搭載型クレーン『UR-25』が登場し、ユニックブラントをさらに不動のものにしていったのでした。
●トラック搭載型クレーンの代名詞“ユニック”の礎となった『U-200Rシリーズ』
ユニックの礎となった『U-200RA』
我が国の近代化と共に荷役作業もさらなる機械化へと移行し始めるなか、1967年(昭和42年)に登場した中型トラック搭載型クレーン『U-200RA』は、それまでの技術力を結集し開発された全油圧式クレーンで、その利便性から瞬く間に脚光を浴びるようになりました。そして4年後の1971年(昭和46年)には操作性を高める改良を施した『U-200RB』が発売され、1973年(昭和48年)には月産約750台の生産に達し、その後13年間にも及ぶロングセラーを続けたのでした。
●市場ニーズに応えた『U-100シリーズ』
荷台内クレーン『U-100F』
荷台内クレーン『U-100B』
1970年(昭和45年)になると、小型トラック荷台内架装型クレーン『U-100F』が開発されました。このクレーンはコンパクトな外観にも拘らず、他のトラック搭載型クレーン同様に全油圧方式を採用し、性能・操作性に関しては当時の水準を十二分に満足するクレーンでした。しかし、充実の装備ゆえにクレーン重量が重くなってしまったことと、コラムポストを助手席側にずらして設置したことによる偏心荷重により走行安定性に不具合が生じるという問題を抱えてしまったのも事実でした。 そこで、翌年早々には、軽量化(ブームの伸縮の手動化)と走行安定性の改良(旋回中心を車両中央に移設)を施した『U-100A』が登場しましたが、さらに3年後の1974年(昭和49年)発売の『U-100B』で、“ブーム伸縮の油圧化”と“助手席側に偏心した旋回中心”を再度採用している点を考えると、荷台内架装型クレーンという新しいジャンルでの試行錯誤の様子が窺えるシリーズでした。
●時代を切り開いた新発想クレーン『UR-25』
一世を風靡した『UR-25』
1970年代(昭和40年代後半)に入ると、トラックや乗用車と同様にクレーンにもパワーアップの要望が強まってきました。そのため、当時の主力機である『U-200R』の吊り上げ荷重(2トン)を上回る“2.5トン”吊りクレーンの開発に着手しました。開発にあたっては、『U-200R』同等の“本体重量と積載量の確保、欠点の克服”がコンセプトに据えられましたが、性能の向上と積載量の確保は並大抵のことではなく、そのため、まずは『U-200R』の設計概念を打破することからのスタートとなりました。そして開発されたのが、国産初の中型トラック搭載用2.5トン吊りクレーンの『UR-25』(1974年(昭和49年))でした。このクレーンには、安定性を高めるための“横張り出し式アウトリガ”、各部の取り回しを考慮した“ブーム下面設置式ワイヤロープ”、ブーム起伏シリンダの“コラムポストからの分離”、ホイストウインチの“コラムポスト内蔵化や軽量化”、“チェーン駆動式旋回装置”など、現在のトラック搭載型クレーンに影響を与える数々の新機構がたくさん盛り込まれていました。
●多段ブーム化が進んだ『UR-30Mシリーズ』
多段ブーム化が進んだ『UR-30シリーズ』
『UR-25』発売後間もなく、他社から2.9トン吊りクレーンが登場し、今度は追う立場の研究が始まりました。開発コンセプトは“『UR-25』の設計思想を受け継ぎながら他社のクレーンを凌駕する2.9トン吊りクレーン”。厳しいスケジュールと戦いながらも1976年12月(昭和51年12月)に試作機が完成、翌1977年4月(昭和52年4月)には、2.9トン吊りクレーン『UR-30M』が誕生しました。このクレーンは2段ブームでしたが、ある地域においてはユーザーの要望による手動引出式3段ブームを追加する改造がよく行われていました。この改造3段ブームの出現がきっかけとなり、トラック搭載型クレーンの長尺・多段ブーム化への動きが加速し、1979年2月(昭和54年2月)には3段ブームの『UR-30MT』が、その翌年の1980年8月(昭和55年8月)には、最大地上揚程10mを超える4段ブームの『UR-30MLT』が登場しました。しかし、『UR-30MT』以降の長尺・多段ブーム化はクレーン重量の増加をもたらし、逆にトラックの積載量を減らしてしまう結果になりました。当然ながら、トラック搭載型クレーンにおける積載量の確保は至上命題であり、少しでも軽いクレーンが好まれたのでした。そこで、そんな市場の要請に応え、徹底的な軽量化を施した最軽量クレーン『UR-30MB』は誕生したのでした。
●電卓で挑んだタケノコ式シリンダの開発
タケノコ式シリンダを搭載した
『UR-10』
新型の荷台内架装型クレーン『UR-10』の開発には既に“6連コントロールバルブ”、“全自動伸縮3段ブーム”、“張出し式アウトリガ”など、多くの新機構を盛り込むことが決まっていましたが、なかでもタケノコ式シリンダと呼ばれるブーム用3段伸縮シリンダの開発に技術者たちは手を焼いていました。タケノコ式シリンダとはシリンダの中にもう1本シリンダが入る画期的な構造でしたが、順次作動させるためには太いシリンダと細いシリンダに流れ込む油量を厳密に調整(試算)する必要があり、数種類のシリンダ径を組み合わせてはそこに抵抗値を加味しながら計算をする日々が何日も続きました。当時はすべてが電卓での計算で非常に手間の掛かる作業でした。そして、机上の計算も終わり試作にこぎつけても実際の加工がまた難しい。それは、2段目のシリンダは外側が1段目のシリンダのロッドを、内側が3段目シリンダのチューブを兼ねるという代物で内外両面の研磨が不可欠だったからです。それでも1979年3月(昭和54年3月)、新機構満載の4代目荷台内架装型クレーン『UR-10』は満を持して登場したのでした。
●現地提案のヒット商品
現地提案のヒット商品『UR-30MH』
ヒット商品は思いも寄らないところから生み出されることがありますが、『UR-30MH』もそんな商品でした。ある時、土建業関係者の話した「1台でクレーン作業と重機運搬の両方ができたらいいのに…。ユニックの足を伸ばせば簡単に出来きるのではないか?」という言葉がヒントになり開発がスタートしました。そして完成したクレーンは、ハイアウトリガクレーン『UR-30MH』として1980年4月(昭和55年4月)に発売され、初年度250台を売るヒット商品となりました。お客様の声に耳を傾ける現地営業マンの執念と努力が実を結んだ、現地提案型商品のひとつでした。